パレート最適と社会的総余剰の最大化
ミクロ経済学の理想は、前述したパレート最適という状態を指します。ただし、これはたくさんの商品を同時に分析する一般均衡分析でのお話です。
一方で、たくさん商品のうち、たったひとつの商品に焦点をあてて分析する部分均衡分析で理想と呼ばれる状態があり、それを社会的総余剰の最大化と呼びます。
パレート最適も、社会的総余剰の最大化も、いずれも社会にとって理想的な状態を意味します。いわるる最大多数の最大幸福というやつですね。
経済のプレーヤーは、大きく、つぎの3つに分類されます。
①消費者・・・効用を最大化するプレーヤー
②生産者・・・利潤を最大化するプレーヤー
③政府
この3つの経済主体の満足の総計が最大化されている状態を社会的総余剰(Social Surplus)の最大化と呼びます。ちなみに、消費者の満足度のことを消費者余剰(Consumer Surplus)、生産者の満足度のことを生産者余剰(Producer Surplus)と呼びます。
それぞれの余剰の割合は関係ありません。全体としての余剰である社会的総余剰させ最大化されていればそれでいいのです。
労働最適供給と効用最大化
ほとんどの人々は、1日24時間のうち8時間を寝て、残り16時間のうち半分にあたる8時間を働きます。のこり8時間は家庭で過ごします。会社で働いている時間は生産者として行動し、家庭で過ごす8時間は消費者として過ごします。よって、消費者余剰と生産者余剰の総和が最大化されている=社会的総余剰の最大化なので、これを超える理想の状態はないと考えるわけです。
経済は最適な資源配分を考える学問であり、最適な所得配分を研究する学問ではありません。社会全体での余剰が最大化されることこそが大事なのです。社会的総余剰さえ最大化させてしまえば、あとはそれを事後的にどう分けるかは、所得再配分で、他の学問で考えればいいことです。限りある有限の資源を使っているのに、社会的総余剰を最大化できないことは、資源の無駄遣いであり、人類全体にとって大変な損失であることいえます。
さて、ここでは、消費者の満足である効用について考えてみたいと思います。だれも不幸になりたいと思う人間はいないでしょう。みんな幸せになりたいと思って行動しているはずです。
消費者理論の前提は、人は効用最大化に従って行動するというものですが、もうひとつ大事なことがあります。それは、限られた予算のなかで、効用を最大化するというものです。無限にお金が使えるのであれば、消費しまくればいいだけです。しかし、現実には所得や資産という制約があります。
さらに、もうひとつのポイントなのですが、所得を得るためには、最適労働供給問題を考えなければいけません。人は寝ている時間以外の16時間を仕事と仕事以外の時間(余暇時間と呼びます)に割り振ります。人間はいつか死にます。だったら好きなことをして生きたいと思うのですが、そういうわけにはいきません。働かないと所得を得られないからです。経済学では働くことを苦痛と考えます。また、働く時間が長時間に及べば及ぶほど仕事に対するストレスは逓増する(徐々に増える)と考えます。この苦痛を相殺してくれるのが、働くことでもらえる給料です。寝てる時間以外の16時間をどう仕事と余暇に割り振るか。それは仕事から受けるストレスと、働くことによってもらえる給料に従います。そして、働いて得た所得で、何を、どれだけ消費し、効用を最大化するかというテーマに結びついていくのです。
異時点間の消費と効用最大化
さらに、異時点間の消費という考え方もあります。人間の一生は長いわけですが、これを若い時期と老後の2つにわけて考えてみましょうという考え方です。若いときは元気でばりばりに活動的なのですが、通常、収入はそう高くはなく、今後の収入の増加を当てにしてローンを組んで、車や住宅を購入する方が多くみられます。借入制約などの問題はあるものの、収入以上に消費をしてしまう傾向にあります。しかし、リタイヤ後に旅行に行ったり、趣味の時間を満喫したりと、老後には老後の楽しみがあります。生涯所得を、どのように割り振るか。借入制約がなければ、若いときと老後で自分にとって最適な組み合わせを選択することになるでしょう。
でも、ついついお金を使いすぎてしまう・・・って方も少なくないのであれば、ある程度の借入制約があったほうがいいのかもしれませんね。
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